不合格
職業訓練校に落ちた。ちょっとショックだった。
2倍くらいの競争率って聞いたから、仕方ないかもだけど。
仕事はIT系の派遣だった。
60歳の誕生日を過ぎたら、仕事が全く決まらなくなった。
フルタイムで働きたいけど、ブラック企業も満員電車も、そろそろ勘弁してほしい。身が持たない。
ハローワークでもこれはと思う仕事はなぜか派遣だったりする。同じ会社が複数の案件ごとに募集を出している。登録させて派遣するという形らしい。その内容と待遇はかなり厳しい。
…うーん…。
年齢や地域、性別で検索すると、出てくるのは介護、保育、警備、マンション管理…。
資格が必要だったり、体力が必要だったり、急用でも休めないとか聞くやつだ。
汚れ仕事はいいとして、力仕事に高所の作業、夏でも冬でも夜でも屋外に立つ、とか過酷。それを掛け持ちしないと生きていけない賃金がこの国の60代の相場である。
働きたいと思っても、これじゃ続かないよ…。
これで人手不足って、そりゃそうなるでしょう、と思う。
年金は65歳前にもらうと一生損だよー、と言われても、定年は60歳という企業が圧倒的に多い。
たまに60歳~なんて募集があっても、それは給付金目当てで採ることが目的のどうでもいい仕事になりがち。
生涯現役、働きたい・働ける高齢者に仕事を!と煽られても、慣れない過酷な仕事を選ぶのはさすがに腰が引ける。
副業OKと言われても、副業しなくても十分なお給料をいただければその方がいいのだが。
経験値
仕事は派遣だった。
学校は地方の親が選んだ短大の家政科、新卒の仕事は結婚までの貯金用程度の安月給で、独り暮らしでは生きていけなかった。
深く考えず、派遣会社に登録した。とりあえず最低限の事務職に。ワープロの機械が気になりだしてPCの勉強をしてIT業へ。しかし当時の大手派遣会社はせいぜいワープロ事務で、OSやサーバー/ネットワーク等の仕事なんてほとんどなかった。
なんとか仕事に就こうと、必死に勉強を続けて、資格をいくつか取った。仕事を探して聞いたことのない派遣会社にも複数登録した。少しずつ給料も上がり始めた。よしよし。
と思ったところに、リーマンショックがきた。アメリカの投資銀行の破綻に始まった大不況である。もー、仕事ない。
その頃から請負契約を進める会社が増えた。正社員として契約して業務請負で派遣する、とか。実に怪しい。そもそも違法でもある。なんとかスキルアップしようと契約しても、超絶ブラックな働かせ方をするところばかりになっていった。
しばらく頑張ったがどうにもならないのでさすがに「ITやめようかな」と思い始めた。扱いが酷過ぎる。「ボーナスも有休も捨てた専門職だった」派遣はたった1つ得ていた高給を買い叩かれ、税金や保険を確実に納付するように義務付けられ、雇用期間が定められて、それはどんどん短くなり、「誰でもできる」「未経験OK」な仕事が増えていった。
派遣しながら土日に行ったIT講師の仕事が楽しかったな、とか、他にできることを考えなければならなくなっていた。
家庭で
子どもはいない。
夫は果てしなく「ヤル気のない人」だった。
独り暮らしができる程度には働いていたが、休みの日はひたすら寝て、TV見て、食べて、風呂入ってビール飲んでTV見てビデオ見て寝る…の繰り返しだった。
休日に楽しく遊びに行ったことも「ないわけではない」程度。始めても続かない。誘ってもやらない。とにかく何もしない。
何よりも無気力で否定的だった。いっしょうけんめい励まして、支えて、盛り上げて…そして思った。「水辺に連れて行っても水を飲まないヤツだ」。
私は致命的なミスをしていた。「私が頑張ればうまくいく」「きっと何とかなる」と思い込んでいたのだ。自分に言い聞かせていたのだろう。
あれから40年(は経っていないけど)。
夫は幼い頃から読書の習慣がなかったせいか、会話でも言葉がうまく選べなかった。そのため、トラブルなど本当に困った時は頼りにはならないのだった。そもそも人が困っていても「助ける」と「気にしない」のスイッチでもあるのか、「気にしない」時は平気で無視することができるのである。
そもそも私は何でも「自分で何とかするしかない」という性分だが、ペアを組んでいるの相手が苦しいときに頼れない、役に立たないのはさすがに残念だった。
彼はちょっとした失敗やトラブル、嫌な思いをしたことをいつまでも引きずる、努力をしない。
それを丁寧に励まし、些細なことを挙げてほめてもクヨクヨ凹んだり怒りを持ち続けて切換えよう、前を向こうとしない姿に、私は何度も自分の心が折れる音を聞いた。
心が削られていった。
依存症
やがて私はゲーム依存症になった。
最初の頃は問題なかった。当時のゲームには終わりがあったから。それが、終わっても続くもしくは終わらないようになりオンラインになったころから、1つにハマるとやめられなくなった。「少しだけ」「もう少し」が止まらないのだ。
「このままではいけない」と思いつつ、仕事など最低限のこと以外、何も手につかなくなっていった。
元々私には「しなければならないことほど後回しにする」という習性がある。磁石の同極のように、背を向けてしまうのだ。拒絶反応のように。そしてギリギリにならないと手をつけられないのだった。
そんな私に夫は苛立ち、次々と買い物をしては私にお金を請求するのだった。毎日のように何かを買っては狭い部屋の中に漫然と置き、またはなんのために何を買ったかも聞いても答えない、または急にキレる、それは私にとって大きなストレスになった。
彼は外で嫌なことがあると、帰宅しても悪口雑言が止まらない。TVを見ていても、政治家などに悪態をつきまくる。
夫は若い頃から(仕事やヘッドフォンでの大音量の影響で:本人説)耳鳴りがすると言い、耳があまり良くなかったが、ある時ひどいめまいに襲われて入院してからバランスが取りにくくなり、後遺症で正常に戻らなくなっているらしい。
昔からやたら疲れやすい人だったが、それからさらに酷く疲れやすくなったようだ。
耳は聞こえない、言葉は出ない、人の気持ちは考えない。
そもそも、聞こえが悪化した時期から「聞こえないのか聞きとれないのかわからない」状態になっていた。
昔から気に入らないことはすぐに放り出して背を向けるし、ややこしい事などわからない話には怒り出す人だったのだから、私にとっては「聞こえていないのか、意図的に無視しているのかわからない」という状況である。
そんな訳で会話はほとんどなくなり、私はガミガミと口汚い言葉だけを浴びせられることになったのだった。どこかの知らない人への。TVに映る人への。そして私自身の、彼の気に障ったことは何でも対象になった。
文句を言っていない時はずっと不機嫌な顔で目を閉じて黙り込んでいる。
仕事先で
当時私は仕事先で問題有りと言われる上司とほぼ二人体制で仕事をしていた。彼はどこかの政治家のようにいつも話をそらし、質問を返し、相手の言葉尻をとらえて執拗に責め続けては話をうやむやにするまでひたすら攻撃する人だった。入ってみたら仕事は私の前任者に丸投げしていたためか「僕もわかんないのよ」と言うだけだった。
そのやり方が腹に据えかねていたのか、前任の方は数日の引継ぎ期間中に仕事はほとんど教えず自分の仕事にひたすら集中していたが、最終日にリストを出して「これとこれをします」と、さらっと言っただけで去っていったのだった。
…と いう訳で、仕事先でひたすらしつこくガミガミ攻撃され、帰宅すると不機嫌な顔をした夫に罵られ続けているうちに、何も気にしない→考えない→どうでもいい→という道を辿り、気づけば何にも興味も関心も持てなくなっていた。会話もなく、笑顔どころか表情もない自分。随分前から夜は眠れなくなっていた。うとうとしても1時間そこそこで何度も目が覚めるのだった。
そこまできてようやく考えた。
これは抑鬱、いや、鬱というやつではないか。
さて、どうしたものか。
ある日、相変わらず人の話は聞こうとしないのに文句ばかりの夫と口論になった挙句、プチ家出先に選んだのは図書館だった。
楽しく本を読んでいたら、気づけば結構な大雨が降っていた。「しばらく止みそうにないけど、まぁいいか」と館内をブラブラしていたら一冊の心理学の本が目に留まった。
「心理学か…昔はよく読んだなあ、こういうの」と、パラパラ読み進めると、強気な女性である著者の方は対策としての章でやられる側の思い込みや利用されないための心構え、責め立てられても罪悪感を持たない考え方や方法などを記していた。
…待てよ。心当たりのある相手が何人かいる。仕事先はやめればにげられるけど夫婦は…?
夫といるのも苦しくてつまらないし疲れたし(そのくせ「もう疲れた、うんざりだ」と言われ続けていた)、お金ばかり請求されるし責められるし、私は何やってるんだろう
それから 何冊かの本を読み、考えた。
自分のために
とりあえず、仕事を辞めた。やっと復帰したITの仕事は、大手の派遣にもたくさん出てくるようになっていた。電話で持ち込まれるだけだった仕事は、ネットでこちらが選べるようになっていたし。
久し振りに失業手当でも受けてから次を探そう。
その、失業手当を受給中に還暦を迎えたのだった。
すると派遣の仕事は応募しても全く反応がなくなった。
ある時はハローワークで今までの仕事と同様の求人を見つけ、最低ラインとして挙げられていたITの資格(昔取ろうとして止めたもの。当時はもう少し上の資格あるし、と思っていた)を、少し気合を入れて2週間で取得、応募したが不合格だった。
気づけば昔取った資格たちはみんな古いし、新しく軽い資格を取ったところで今更相手にされないのであった。
つまり個人でどれだけ勉強して投資して努力して資格など取っていても実務経験があっても、年齢の壁の前には何の役にも立たないという現実がそこにあった。
以前はすぐに連絡が来て面接に行って、次の仕事に就けたのに。
それでも働きたい高齢者は、未経験OK誰でもできる、という体力のいるきつい汚れ仕事を何とか覚えて受けるしかないようである。生きていけないような低賃金で。
それから…
これからどうするか。
本を読んで、まずは好きなこと、やりたいことをやるのだ、と考えるようになった。
自分が幸せになるために、必要なことをするのだ、と。
…遠い昔にそんな時間があったことを思い出した。随分長いこと失くしていたので忘れていた。
それは、いつだっけ?私は何をしていた?
それは、独り暮らしをしていた時だった。毒家族から離れ、自立不可能な低賃金の会社から派遣に変えて。
そうだ、私は一人の時間が大切だったのだ。
もう一つ
もう一つ。
なぜ あの夫と別れなかったのだろう。
友人に「マニピュレーターって知ってる?」と言われたことがある。
調べてみると、他人を支配しようとする人のことで、そこにはイネーブラーという従い、支援する人間がついているものらしい。
友人はきっと夫のことを言いたかったのだろう。
そして確かに私は彼と共依存の関係にあり、イネーブラーになっていたのだ。いつの間にか。
だって「私が頑張れば私たち、この人もきっと良い方に向かう」なんて思っていたのだから。いつかは変わるかも、と。
そして「この何もない人は、私が見捨てたら死んでしまうかもしれない」と思っていたのだから。
何度も心が折れて行く中で、もうダメだ、もういいや、と思うようになっていった気がする。
ある日 あんたの買い物のお金はもう出せない、私は出ていく、というと文句は言われなくなった。
その代わりか彼はさらに不貞腐れてあてつけるように口を利かなくなり、同室に私が入れば出ていくようになり、食事も一切別になった。
そもそも私の出す音が、食事の準備から洗い物まで気に入らないようだ。耳 聞こえないのに。
さらにここしばらく、鬱もあり超運動不足でいたら、あちこちに不具合が出てきた。そのうちの一つが気になり、調べてみるとどうやらリュウマチらしい。
リュウマチ!ババ臭い!私が?!…と思ったが、どうやら本当にそのようだ。
その治療は投薬で、一生飲み続けることになるとか。…それはイヤだ。薬は飲みたくない。生き物の体にとって異物だし、効果があれば副反応がある。何より飲むのが面倒くさい。すぐ忘れるし。一生なんて無理。
愛着障害
それから さらに調べていくと「愛着障害」という言葉に辿りついた。
なんでも、乳幼児期に必要な愛情と支援が与えられなかった子供が、問題を抱えるようになるという話。これはいくつになっても大人になっても、適切な形で解消されなければ引きずっていくことになるようだ。
この言葉がものすごくピンときた。ビビっと来た。そうだ、これだ。私にはとても心当たりがある。
何をやってもうまく行かないなあと鬱になりかけていた時、自分に問題があるんだろうとかそれはどこだろう、どうしてなんだろうとか、発達障害ではないかとか、色々考えたし、調べたりした。でもどれもイマイチだったのだ。
それも課題として自分の中にしまっていたものだった。
そういうものから解放されて幸せになる道を、これから探していかなければ。
しかーし。
独り暮らし?今から?
60歳、無職。部屋も借りるのは困難だろう。仕事も決まらないし、孤独死まっしぐらなんだから。
貯金は…ほとんど夫が使ってしまった。
別れよう、そして1人で生きて行こう、と思い立った時は、開放感と幸福感でいっぱいになったものだが。
さて
それでも 生きていかなければならない。
どうせ生きるなら、残り少ない人生を幸せに生きていきたい。
私は 私自身を幸せにしなくてはならない。自分自身との約束を果たそう。
鬱でも。依存症でも。1人でも。お金がなくても。愛着障害でも。職業訓練校落ちても。リュウマチでも。
諦めるわけにはいかない。自分の人生だ。
(と 思いつつ、力が入らない。あんなに元気で前向きだった私なのに。鬱だからかな。)
以上が、前途多難な自分再生計画である。まだ計画にもなっていないか。
あんまりできることがないから、とりあえずブログを作ってみることにした。
以前から1度使ってみたかったWordPressで。
しかし全くわからない。
調べることから初めて、わからないことを勉強し、契約し、設定をした。
自信はないけど、とにかく投稿してみよう。記念すべき第1稿。
これから少しずつ成長していけるといいけど。
…さて、どうなることやら。
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